あれから・・・

こんばんは!

 

先週の28日にオペをして1週間。術後は今のところ順調で、負荷がかからない程度なら松葉杖なしで歩いています。

退院後に少し体調を崩していたので、昨日から小平でのリハビリを開始しました。

チームも新たなスタートを切り、自分にとっても復帰に向けて再スタート!

復帰までは約2ヵ月。夏場のチームにとって苦しい時期に戻って終盤に向けて再加速するイメージでリハビリを続けてきたけど、イメージ通りにはいきませんでした。

だからといってネガティブにはなっていません。チームの力になること、そして自分らしいプレーをピッチでするという目標に変わりわないので、少し先になってしまってもしっかりと復活したいと思っています。

 

気づけばドイツ、フランクフルト戦での怪我から1年。そして自分がもう1度ピッチに戻るんだと強く思わせてくれたマツ君が亡くなってから5年・・・。5年の間にも様々なことがあったけど、この1年もまた自分と向き合う時間が果てしなく長いように感じた日々でした。

 

あの時にマツ君の存在がなければ復帰に向けて自分と向き合い続ける時間は間違いなく無かっただろうし、ここまで待ち続けてくれているファンサポーターの存在ももちろんなかったと思う。

既にこの世にはないマツ君の姿だけど、今もなお生き続けているであろう魂に何度助けられたか。その度にあの人の持つ力の凄さに驚き、感謝し、負けねえと。俺はまだその途中だけど、必ずピッチに立ちマツ君が羨ましく思うほどのプレーを表現するのが今のモチベーションの1つになっています。

 

あっという間に当時のマツ君の歳を超えてしまいました。ユースからの戦友の隼磨は今年当時のマツ君と一緒の歳に。

アイツもまた同じような歳にサッカーが出来ない苦しみ、もどかしさと戦い続けている。

俺は苦しい中でも同じような縁を感じ続けているし、あいつもまた同じ様なことを感じているかもしれない。

電話で話をし合っているけど、久々に会ってゆっくりと話をしたいと思っています。もちろんマツ君のところへも行って近況報告しにもね。なんか言われそうだけど(笑)。

 

 

俺にとっての膝、特に半月板はサッカー人生の中で分岐点になってきた怪我っていうのかな。

 

ちょうど今行われている日本クラブユース選手権。FC東京U-18は今日ファイナルで清水と。非常に楽しみです♪

うちは歴代でもタイトルも経験しているし、育成年代で常にタイトルが求められるのが当たり前になっているけど、俺がマリノスユースだった頃は自分の実力が未熟で、タイトルに貢献するどころか全国に行けず予選敗退、夏場はひたすら練習する時期を過ごしていました。

フリューゲルスと合併しFマリノスとして出場した高校3年時のクラブユースではベスト16でジュビロ磐田に敗れ、この大会後に行われたベイブリッジカップという横浜での大会出場を最後にチームを離れました。

 

話が逸れたけど、この大会期間中に半月板を痛めて膝がパンパンに腫れてしまって。進路の決まっていなかった俺はどうにかごまかしながら、でもパフォーマンスが求められる中で納得できるプレーをしながらベイブリッジカップまで戦い終えて、秋にトップチームとの仮契約をすることが出来ました。

 

少し話が長くなったけど、この時から膝との付き合い、分岐点に・・・。

 

 

半月板といえば、マツくんとのエピソードも。

 

当時高校2年だったんだけど、サテライトのメンバーが足りず、ユースから5人ほど帯同し試合をすることに。

バスで鹿島の練習場まで行って試合をしたんだけど、サテライトのメンバーにマツ君がいて。マツ君は高校卒業からすぐにバリバリ試合に出場していたんだけど、半月板を痛めていた時だったから調整も含めての出場だったのかな。

会場に到着してからも機嫌が悪くて(汗)。

ミーティング中は何か食べてて話聞いてないし、いざ試合が始まってもメンバーがいつもと違うから当然上手く行かず文句ばかり(笑)。ベンチで観ていた俺は、「こんな人と一緒に試合したくない・・・」と思っていた矢先、マツ君が「足痛ぇし誰か代われっ!」ベンチに言い始めて。代わりに交代したのが俺(汗)。正直一緒にプレーしなくて良かったとホッとしたのを憶えてます・・・。

 

この後に会って話をするようになったのは2000年に入団してからかな?

イメージは会うまでこの時のままだったけど、話をするようになってからは試合中のフォローやオフの時にはメシに連れて行ってくれたり洋服くれたり移籍の相談に乗ってくれたりと優しい兄貴みたいな存在だったな。

俺は兄貴がいなかったから、こんな兄貴がいたらなぁと常に憧れの存在でした。ただ、入りの印象が悪すぎた(汗)。

 

こんなにもインパクトのある人、後にも先にもマツくんだけでしょ(笑)。

 

今回痛めた半月板から色々と思い出してしまいました・・・。

 

 

今回の怪我でも相変わらず試されている気がします。腕組みながらね。

まさか1年経って今の姿なんて想像もしてなかったけど、乗り越える覚悟が足りなかった?

「あの日」を迎える前に自問自答しているけど、自分がしてきた選択を自分なりにした結果だから受け入れられるし次にも進める。

 

そして改めてマツ君と同じ想いになれた気がしています。「サッカーが好きでまだまだサッカーがしたい」と。

 

あれだけの選手が様々な覚悟をしてサッカーを続けた意味。当時の俺は正直理解するまで時間がかかった。もちろん続ける姿を見たかったし、まだまだやれると信じていた。

でも愛するチームを離れてまで決断する覚悟がどこから生まれるのかと。

 

マツくんと同じ年齢になってやっと分かってきた。

 

「自分はまだやれる」

 

それだけだと思う。その想いがあったからこそ。むしろその想いがあれば十分なのかもしれない。

だから自分は続ける。色んな感情や声はあってもマツくんの中ではシンプルだったんだと思う。

 

怪我でプレー出来ていない自分ですら「自分はまだやれる」と思って日々を積み重ねる。

プレーしていたマツくんなら尚更強く思っていたはず。

 

そんな話をすることは今もこれからも出来ないけど、変わらず自問自答しながら、時にマツ君だったらと自分の姿を重ね合わせながら突き進む姿勢に変わりはないと思っています。

 

自分にとってひとつの区切りであり様々な想いを持ってリスタートする時期。

改めて、感謝と共に「まだまだやれる」という心の底から湧き出る想いの中で今を変わらず積み重ねたいと思います。

 

 

 

Nao